2009年09月04日
金八姐さん
さて、過日開通した「金八(きんぱち)トンネル」。
トンネル開通前に活躍した金八峠はいま、どうなっているのでしょう。

通行止めでした。
今となってはあの険しい峠も懐かしい感じがします。
ところで、現在もトンネルとして名を残した「金八」にはどのような由来があるのでしょう?
かつて、日本最大の金山と呼ばれた鴻之舞鉱山。
昭和初期の頃、鉱産物と物資の集散は紋別を経由していましたが、石北線の開通に伴い石北線を利用することになりました。
その中継地点となると地域振興に大きく貢献することになるため、昭和2年来、新道開削をめぐり、遠軽と丸瀬布がしのぎを削った結果、近距離にあたる丸瀬布に軍配があがりました。
この路線選定の際に登場するのが東町にあった料亭美濃屋の「金八(きんぱち)」という芸者。

調査に訪れた係官を下にもおかぬもてなしをしました。
その結果(が実を結んだかどうか、今となっては定かではありませんが)、道路は丸瀬布から通じることになったとか。
かくして、昭和6年に開通式が行われ、峠の名称を付けることになったとき、陰の立役者である金八の名が浮かび「金八峠」と名付けられました。
金八には金が開くという末広がりで縁起が良いという意味も含まれていました。
(『新丸瀬布町史』より抜粋)
ところでこの金八姐さん、本名を勝又ツナと言うそうです。なぜ芸名に金八を名乗ったのか…結局のところ本当の由来は謎に包まれたまま…そんなミステリアスなところが歴史の面白さでもあるのかもしれません。
トンネル通行の際は、そんな金八姐さんに思いを馳せながら、鴻之舞の歴史とともに自然を楽しんでくださいね。くれぐれも安全運転で。
金八トンネルのお問い合わせは、えんがる町観光協会丸瀬布支部(遠軽町丸瀬布総合支所産業課 0158-47-2213)または網走土木現業所紋別出張所まで。
トンネル開通前に活躍した金八峠はいま、どうなっているのでしょう。

通行止めでした。
今となってはあの険しい峠も懐かしい感じがします。
ところで、現在もトンネルとして名を残した「金八」にはどのような由来があるのでしょう?
かつて、日本最大の金山と呼ばれた鴻之舞鉱山。
昭和初期の頃、鉱産物と物資の集散は紋別を経由していましたが、石北線の開通に伴い石北線を利用することになりました。
その中継地点となると地域振興に大きく貢献することになるため、昭和2年来、新道開削をめぐり、遠軽と丸瀬布がしのぎを削った結果、近距離にあたる丸瀬布に軍配があがりました。
この路線選定の際に登場するのが東町にあった料亭美濃屋の「金八(きんぱち)」という芸者。

調査に訪れた係官を下にもおかぬもてなしをしました。
その結果(が実を結んだかどうか、今となっては定かではありませんが)、道路は丸瀬布から通じることになったとか。
かくして、昭和6年に開通式が行われ、峠の名称を付けることになったとき、陰の立役者である金八の名が浮かび「金八峠」と名付けられました。
金八には金が開くという末広がりで縁起が良いという意味も含まれていました。
(『新丸瀬布町史』より抜粋)
ところでこの金八姐さん、本名を勝又ツナと言うそうです。なぜ芸名に金八を名乗ったのか…結局のところ本当の由来は謎に包まれたまま…そんなミステリアスなところが歴史の面白さでもあるのかもしれません。
トンネル通行の際は、そんな金八姐さんに思いを馳せながら、鴻之舞の歴史とともに自然を楽しんでくださいね。くれぐれも安全運転で。
金八トンネルのお問い合わせは、えんがる町観光協会丸瀬布支部(遠軽町丸瀬布総合支所産業課 0158-47-2213)または網走土木現業所紋別出張所まで。
Posted by えんがる町観光協会丸瀬布支部 at 09:00│Comments(0)
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