2009年11月17日
研究の行く末に
幕末の蝦夷地(えぞち)探検家として知られる、松浦武四郎の研究を続ける遠軽町丸瀬布新町在住の秋葉實さんが、このたび第63回北海道新聞文化賞社会部門を受賞しました。

医薬に関する学問を学んだ松浦武四郎は、早くから諸国をめぐっていたそうですが、一度は僧となり、帰俗したのち蝦夷地探検を開始、その行程は択捉島や樺太にまで及んだとか。後に蝦夷御用御雇に抜擢され、再び蝦夷地を踏査し「東西蝦夷山川地理取調図」(とうざいえぞさんせんちりとりしらべず)という北海道地図を出版。伊能忠敬や間宮林蔵の海岸線測量データを活用し、内陸は自身6度にわたる調査により作成したそうです。実はこの松浦武四郎、その後に開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えた名付け親でもあります。また、探検家であると同時にアイヌ文化の紹介や文化の異なるアイヌの人々の正しい理解を求める、アイヌの人々との架け橋の役割も担っていた人物です。
そんな探検家松浦武四郎の研究を40年続けている秋葉實さんは、松浦武四郎の崩れた字体や創作漢字の解読の第一人者でもあり、約10年で解読本全5巻を出版するなど約30冊の著書を発行しています。
秋葉さんは、6年前に体調を崩し、1984年から務める松浦武四郎研究会の代表も次回の会報の発行を機に辞めることにしたそうですが、「武四郎を北海道の名付け親から一歩突き進んで、アイヌ民族の救世主として洗い直してみたい。」と、また新たな研究に向け意欲を見せています。
このたびの受賞にお祝い申し上げますとともに、今後も元気にご活躍されることをご祈念申し上げます。

医薬に関する学問を学んだ松浦武四郎は、早くから諸国をめぐっていたそうですが、一度は僧となり、帰俗したのち蝦夷地探検を開始、その行程は択捉島や樺太にまで及んだとか。後に蝦夷御用御雇に抜擢され、再び蝦夷地を踏査し「東西蝦夷山川地理取調図」(とうざいえぞさんせんちりとりしらべず)という北海道地図を出版。伊能忠敬や間宮林蔵の海岸線測量データを活用し、内陸は自身6度にわたる調査により作成したそうです。実はこの松浦武四郎、その後に開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えた名付け親でもあります。また、探検家であると同時にアイヌ文化の紹介や文化の異なるアイヌの人々の正しい理解を求める、アイヌの人々との架け橋の役割も担っていた人物です。
そんな探検家松浦武四郎の研究を40年続けている秋葉實さんは、松浦武四郎の崩れた字体や創作漢字の解読の第一人者でもあり、約10年で解読本全5巻を出版するなど約30冊の著書を発行しています。
秋葉さんは、6年前に体調を崩し、1984年から務める松浦武四郎研究会の代表も次回の会報の発行を機に辞めることにしたそうですが、「武四郎を北海道の名付け親から一歩突き進んで、アイヌ民族の救世主として洗い直してみたい。」と、また新たな研究に向け意欲を見せています。
このたびの受賞にお祝い申し上げますとともに、今後も元気にご活躍されることをご祈念申し上げます。
Posted by えんがる町観光協会丸瀬布支部 at 09:00│Comments(0)
│丸瀬布支部情報
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